オーボエ奏者は行儀よく、カラオケおじさんのダンサブルな曲が終わるのを10歩離れて待っていた。曲がアウトロに差し掛かり、おじさんが次のナンバーに移るべく機材の上にしゃがみ込んだ瞬間、オーボエはここぞとばかり大股でおじさんに歩み寄る。(この記…
市場の正面に柵が敷かれて、以前のようにふらりと勝手に立ち入れないようになっている。警備員が人数を加減しながら中に通しているらしい。ぼくの前にはすでに30人ほどの買い物客が行列を作っていた。さいわい皆マスクをしている。ロックダウンのはじめご…
ロックダウンが解除されてから初めての日曜がやってきた。水色の朝の空を見上げながら、毛布にくるまって2時間あまりを無為に過ごしたところで、そうだ市場に行かなくちゃと思い出した。日曜朝の市場での買い出し。パリに来てから何年間も従ってきた習慣な…
こんにちは。いつも当ブログを覗いてくださってありがとうございます。皆様がくださった反応のおかげで、長きに及んだ隔離生活を発狂せずに乗り切ることができました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。とはいえこのブログ、「屋根裏(隔離生活)通…
自転車を降りて転がしながら河岸へと下る階段に近付く。久方ぶりに間近で目にする大聖堂はやはり傷跡が痛ましかった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の足場といい、あちこちでむき出しになっていて、聖堂のくすんだ石の色から変に浮いている生木の補強…
前回の日記では書ききれなかった良い報告がふたつある。ひとつめは老齢のモデル、ロディオンの無事が確認されたこと。夜になってから折り返し電話がかかってきて、ぼくが気をもんでいたことに大層驚いたようだった。呑気な声で彼が言うには、「どうしてそん…
かくしてぼくらはコーヒーを求めて混沌の街をさまよい始めた。 とはいえ、おいしい一杯にありつける確率はそんなに高いほうともいえない。飲食店はまだテイクアウトでの営業しか許されていないため、カフェはみなシャッターを下ろしたままなのだ。営業許可が…
「元の世界にはもう戻れない」と覚悟を求める者がいる一方で、「日常への回帰」の旗をせわしげに振る者もいる。路地に降り立ったぼくが見たのは両者の主張のせめぎ合いのような街の光景だった。 昨日までとは比較にならない数の歩行者が大通りを行き交ってい…
「フランス語のいかなる辞書にもdéconfinement(デコンフィヌマン)なんて言葉はない。『コンフィヌマンの終わり』のことを言いたいのなら、無闇に新語を作らずそのままfin du confinement(ファン・デュ・コンフィヌマン)と言うべきではないか」――ロックダ…
きのうの夜、パリを嵐が通り過ぎた。雷をともなう激しいもので、ニュースの伝えるところでは3週間ぶんの降水量にあたる雨が数時間のうちに降ったという。郊外のいくつかの地域では家屋のなかに至るほどの浸水が起きた。 屋根を乱打する大粒の雨音をぼくはベ…
自宅療養期間を終えて2週間ぶりに外出をしたら、世間の空気がすっかり変わっていたという話を前回の日記で書いた。 この現象はパリに限ったものではなく、ちょうど河川敷のつくしのように4月初めの週末から全国で一斉に顔を覗かせたものらしい。メディアは…
「コロナ疲れ」という言葉を知って、ぼくは過去1か月間ここに書いてきた文章の内容を反省してしまった。たしかに昨今はテレビをつけてもインターネットを覗いてもコロナウイルスの話題で持ちきりで、心の休まる隙もない。そのうえでぼくがなおもこの風潮に…
その牧歌的な光景を前にすっかり拍子抜けしていると、男が声を掛けてきた。「カモっちゅうのは、豆は食べないもんですかねえ」「いやあどうでしょう、ふだんは水草なんかを食べてるはずですが」答える声が変にうわずってしまったのは、質問の突拍子の無さの…
完全隔離生活のさなか、これはどうもカフカの小説『変身』みたいだなと思うことがあった。 ある朝とつぜん巨大な虫の姿で目覚めてしまった青年グレゴールは、家族によって寝室にかくまわれ、壁や天井を這い回るだけの無為な生活を送ることになる。家族ははじ…
せめて記事の一件くらいは、ぼくのラナンキュラスのために捧げるべきではないかと思う。屋根裏部屋の天窓の下でぼくが育てていた小さな鉢植えの花のことだ。