屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

沈黙の春、その陰影

 燦燦と注ぐ日の光が悩ましいものになるなんて、パリ市民の誰が予想しただろう。

 冬の陰鬱な曇り空の下を身をかがめながら生き抜いた彼らはいま、情け容赦なく春めいてゆく外の景色に懊悩している。緑の乏しい石の都にもやはり季節は巡ってくるもので、春の便りはすべての窓に分け隔てなく届けられる。大通りに面する窓にはプラタナスの並木の芽吹き、中庭を望む窓には柔らいだ空気や陽差し、薄暗い小路の北向きの窓にはクロウタドリの歌へと姿を変えて。ぼくがうっかり閉じ込められた屋根裏部屋の天窓も春は見落としたりはせず、昼下がりから4、5時間ほど、四角い小さな陽だまりとなって部屋の片隅を通り過ぎてゆく。

 しかし今年に限っては、このいざないは責め苦でしかない。

 外出制限の発効からわずか24時間のあいだに、全国で4000人を超える違反者が検挙されたとニュースが告げている。はじめ38ユーロだった罰金はあっという間に最低135ユーロに引き上げられた。「健康維持のための単独での運動」が外出理由として有効であるため、セーヌ河岸がジョギングする市民で思わぬ賑わいを見せてしまったという嘘みたいな話も伝えられている。このルールもじき見直されることになるだろう。
 罰金の引き上げについて批判はほとんど聞かれないけれど、不届き者から集めた罰金を医療従事者への補償としようという意見はSNS上でよく見受けられた。最前線で肺炎と戦う医療現場の凄惨なようすが連日伝えられているためだ。脅威に対して備えができていると言ってはばからなかった政府が、ふたを開ければ医師や看護師に配るマスクの備蓄さえ用意していなかった。遅きに失した感染拡大対策に加えこのことが大きなスキャンダルとなり、政府は連日嘘つき無能と思うさま罵られている。

 街はいたって静かである。天窓から大通りを覗いてみても、陽光に照らされたコンクリートにはいささかの人影も見られない。街のど真ん中に位置するぼくの部屋の窓からは地上の様々な人間模様が垣間見られて、ぼくはここをまるで劇場の天井桟敷みたいだと思っていたものだ。はしゃぎまわる観光客のグループ。偽物の署名嘆願書を手に彼らに近付くロマ族の子どもたち。ひっきりなしに行ったり来たりする自動車の群れ、まれに起こる交通事故、けんか。今やそれらの公演すべてが取りやめになって、演者の消えた舞台はただただ春の日を照り返している。

 うすい壁越しにときおり聴こえるヴァイオリンの音が、ぼくが耳にする他人の気配のほとんどすべてだ。ぼくのうちより少しは広い隣の部屋に女の子が住んでいて、外出制限が始まってからは在宅で仕事をしている。彼女はもともと体が弱いから、ぼくらはこの疫病の流行を一般のフランス人よりはだいぶ真面目に危惧していたといえる。それでもこういう事態になるまで、国の機関である彼女の職場はテレワークのテの字も発しようとしなかったし、ぼくたち自身、中国やイタリアの惨状をどこか劇中の出来事のように眺めていた。舞台と客席との隔たりを国家が維持してくれていると多くの人が根拠もなしに信じていた。いまからわずか2週間前には、フランスのあるテレビ局が「コロナピザ、イタリアから世界へ」なんて悪趣味なジョークを平気で放送していたくらいなのだ。今となって明らかになったのは、彼女が常に持ち歩いているアルコールジェルの小さなボトルが、国家なんかよりはるかにぬかりなく彼女の身を守ってくれていたということだ。

 幸いといっていいのか分からないけれど、ひと月前から彼女のところに転がり込んでいた妹もそこで一緒にロックダウンされてしまった。今月末には新居に移るはずだったそうだが、むろん外出証明書に「お引越し」という項目はない。ふたりでいてくれたほうが何かと安心だから、そんなものはなくたっていいのだ。
しかしぼくの方は本当の一人ぼっちだなあ、そう思って部屋を見渡すと、陽だまりに揺り起こされたラナンキュラスがきょろきょろとあたりを見回していた。

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