屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ある老画家の脱出劇 (三)

 バーゼル行きを取りやめたことで、李さんは心の落ち着きを取り戻したようだった。

 いつもに比べて外にスケッチに出かける日はずいぶんと減り、ヌードモデルをアトリエに呼んで油絵を進める日が増えた。人との接触を避けなさいという台北の奥さんからの指令に答えてのことだが、こうして家にばかりいると節約にもなって一石二鳥だと本人も意外に楽しげだ。ちょっと困るのは、ぼくがアトリエに顔を出すたび「本日のフランスの感染者数」をいの一番に尋ねてくることで、そのせいでぼくにも彼の強迫観念がうつってしまいそうだった。とはいえ2月8日にフランスの感染者数が6から11に増えたとき、やはりぼくはそこに何らの脅威も感じなかったのだが。

 李さんが籠城を始めたころから、都市伝説の幽霊の噂は少しずつ世に浸透していた。ただしそれは「中国で無辜の人々を襲っている」から「中国人に取り憑いて人々を襲う」という脚色を経てのことだった。
 李さんの用事で近所のコピー屋に行くと、いつもぶっきらぼうなおやじが更に表情を硬くして「お前はたしか中国人じゃないよな?」と聞いてくる。日本人だと答えると彼はほっとした顔をする。市場のなじみの八百屋さんはいつもより客足が減ってきたようだ。フランスのTwitterに#jenesuispasunvirus(わたしはウイルスじゃない)というハッシュタグが登場したのが1月31日だというから、ぼくが何となく居心地の悪さを肌で感じ始める一週間前には、ウイルスにかこつけたアジア人への偏見や差別が社会に芽を出していたのだろう。李さんの籠城はむしろその意味でぼくにとって好ましいことだった。彼がこの街で噂の幽霊に襲われるなんていまだに信じられないけれど、人の悪意なら路上にいくらでも転がっている。

 こうしてしばしのあいだ続いた李さんの心穏やかな日々は、思いもよらないところからほころび始めることになる。2月21日にイタリアで20人の感染者が報告され、そうかと思えばその数は翌日79人に、さらに次の日には152人にまで膨れ上がったのだ。東洋の半透明の幽霊が実体を持つ怪物として突如隣国に現れたことで、フランス社会はにわかに色めき立った。政府は感染予防のガイドラインが書かれたポスターをあちこちに掲示しはじめたが、李さんにとってきわめて不運だったのは、この広告にイラスト付きではっきりと「マスクの着用は病気の場合のみ」と記されていたことだ。そこには医療従事者のために在庫を確保しましょうという尤もらしい理由まで書き添えられていた。
「いや、その理屈はおかしいよ」と李さんは憤る。「病院のマスクを確保するのは薬局でなく国の仕事だろう。それに買い占めを防ぎたいなら、みんなに平等に行き渡るように保険証番号かなにかと紐づけにすればいいんだよ。台湾じゃとっくにそうしてるよ」
ぼくは確かにそうですねえと彼をなだめる一方で、心の中で反駁してもいた。そうはいってもフランス政府の指示なのだから、そこには何か医学的な根拠なり法的な理由があるに決まっているじゃないか。
「フランスは国境を封鎖するかな」
EU圏内は移動の自由が認められているから、一国の独断でそういうことはできないでしょう」
「そうはいってもあなた、ぼくたちが今こうしている瞬間にも、ひとりの感染したイタリア人が自分でそれに気づかないまま長距離列車でパリに向かっているかもしれないよ。今回の病気はそこが怖いんだよ。病人が大人しくうちで寝ていないんだ」
ぼくは思わず吹き出してしまった。なぜって、目の前の老画家が持ち前の想像力をもって描き出したその場面が、どこぞのB級パニック映画の冒頭シーンにそっくりだったからだ。それはいかにも南イタリア然とした黒髪に溌溂とした目の美しい女性で、初めてのパリ旅行に浮かれてベレー帽なんか頭に乗せていることだろう。
「で、すぐそこのポール・ロワイヤル駅で切符をなくして困っているところに、ぼくたちが通りかかるんでしょう」
ぼくのシナリオの提案に、李さんは全然乗り気でないという顔をした。

 アトリエを出ると外はとっぷりと日が暮れていた。いつもの大通りを自転車で飛ばして帰る。カフェの煌々とした明かりの下で人々が飲み、笑いあっている。噴水広場で若者たちがダンスをしていて、まわりに人だかりができている。街は何ひとつ変わらないけれど、心なしか空だけがいつもより低いような気がする。セーヌ川を渡ろうというところで赤信号に引っかかり、背中を伸ばして息を整える。
喧噪から遠く離れて、屋根の焼け落ちたノートルダムが虚空をぼうっと見つめている。   (続く)

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