屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

あらたな息吹

 あとの祭りと重々知りながら、ぼくは手を洗いに洗面台に立った。

 (この記事は3月26日のことを書いた前回の記事の続きです)
マルセイユ石鹸を念入りに泡立て、爪のあいだから両手首までくまなくこする。「ハッピーバースデイの歌を二回歌えるくらいの時間」とは李さんが教えてくれたことだが、いままで一度も実行しなかった。こうして息切れするようになって初めて、ぼくはぶつぶつとその幸福な歌を深夜にひとり口ずさんでいる。ついでに洗濯籠から靴下とパンツを拾い上げ、石鹸でざぶざぶと手洗いしたのち暖房器具の上にかけた。万が一症状が悪化して病院に運び込まれることになったら、替えの下着を誰に頼んだらいいか分からないからな…

 感染が疑われた場合のガイドラインは、日本もフランスもそう変わらないようだった。軽症者は原則として自宅待機。かかりつけ医を受診する際は必ず事前連絡をすること。感染拡大を防ぐため電話診察が推奨される。重症化した場合は即座に救急番号へ連絡。その他の質問は専用ダイヤルへ。

 この「重症化」の線引きがすこし曖昧に思われた。フランス厚生省の資料には「呼吸困難があるときは即座に救急番号に電話」と書かれているものの、何をもって困難とするのか記されていない。あれこれページを見て回った結果、激しい咳や呼吸に音(喘鳴というらしい)が伴うようになったら黄色信号というふうに自分でラインを設定した。それまでは変におたおたしないで休養につとめよう。三十代前半で持病もないのだから、実際のところ救急はおろか相談ダイヤルに電話することさえはばかられてしまうのだ。もっと優先されるべき人々のしわがれた手が、きっと今もどこかで受話器を握って返事を待っていることだろう。あのドゥ・セーヴルの看護師さんは、この瞬間も必死で患者の世話をしているのだろうか。

 体を横向きにして寝るといくらか呼吸が楽な気がした。少しうとうとしてきたが、それも束の間、やはり息苦しさにはっとして目が覚めた。普段の呼吸が1から10までの往復によって為されているとするなら、7と10とのあいだでは酸素の取り込みが行われなくなったような感覚だった。目が覚めているときは呼吸を短く浅くすることで補っていたその不足が、眠りに落ちて呼吸のペースが替わったとたんに露呈する。何度かそれを繰り返したあと、ぼくは寝るのをあきらめた。そのまま呼吸が止まってしまうような嫌な予感がしたのだ。体を起こして、焚き火の番をするように自分の肺を見張って過ごすことにした。携帯電話の時計は深夜2時半を指していた。またお日様が昇るまで、宇宙を漂う屋根裏部屋がふたたび地上に帰り着くまで、永遠のように長く感じた。

 ぼくが最後に時間を見たのは早朝の4時だったと記憶している。「呼吸を楽にする姿勢」という日本語のページを見つけて、そこに載っていたイラストのとおり横向きに寝た状態でクッションを胸に抱え込んでみたのだ。ぜん息に関するページだったけれど、なるほどたしかに腕の重みが肺を圧迫しないためすこし呼吸がしやすくなった。そうしていつしか眠りに落ちて、いま天窓から入る朝の光で目が覚めた。三時間ぐらい眠れたようだった。

 呼吸はどうかなと意識を向けてみると、昨夜よりやや楽になっている。熱は引いたようだし、咳の出る気配もない。嬉しくなってさっそく誰かに報告しようとしたが、そういえば昨夜のぼくの宇宙漂流を知るものは誰もいないのだった。

 ベッドから這い出して第一に手を洗い、乾いた下着を小さく畳んだ。暖房は付けっぱなしにして、ありったけの野菜を鍋に放り込んでスープを作った。幸いなことに消化器は平常運転のようで、何か食わせろと騒いでいるのだ。食べ終わってから、外出制限が始まるまえに最後に会った数名の友人に連絡して、変わらず元気にしているか確かめた。こちらもまったく幸いなことに、皆つつがないようだった。隣の姉妹に対しても、少し迷ったが何も伝えないことにした。ただ外から部屋に帰るたび念入りに手を洗うこと、それもハッピーバースデイ二回分の時間をかけることをメッセージで強く勧めておいた。
 日中はずっとそんな調子で食べては眠りを繰り返し、免疫機能の援護射撃につとめた。息苦しさはときどきぶり返してきたものの、全体としては回復傾向にあるようだった。自分のふたつの肺のなかでオセロでも行われているようで、しかも自分がそれを有利に進めているようでおもしろかった。もしもこの肺が世界の縮図で、この一局の勝利がそのまま人間の勝利と解放を意味できたならどんなにいいだろう。とはいえぼくの免疫と対局している見えない客が噂のあいつと同一人物であるかどうかは、医学の助けなしには分からないけれど。

 外のほうからかすかに聞こえる拍手の音で目が覚めた。夜の8時になったらしい。起きだして椅子のうえに乗り、天窓を押し上げて顔を出すと、日の沈み切って間もない空が美しいグラデーションを描いていた。ぼくも身を乗り出して空に向かって拍手を送る。自分の大したことのない闘病までもが称えられたようで気分がよかった。
 拍手が鳴りやみ人々の姿が窓の奥に消えていったあとも、しばらく天窓から顔を出したまま外の風にあたっていた。取り返された肺の領土に澄んだ空気をゆっくりと送り込む。風の匂いや空の色に早くも初夏のニュアンスが潜んでいて驚いた。ほんとうに、春は年々短くなっている。
 群青色を深めた空に一番星と三日月が浮かんだ。エッフェル塔がじゃれつくみたいにそれに光線を投げかけている。くりかえし、くりかえし深呼吸をしながら、ぼくは命を愛おしく思った。

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