屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ジャズとペダルとノートルダム (上)

 前回の日記では書ききれなかった良い報告がふたつある。

ひとつめは老齢のモデル、ロディオンの無事が確認されたこと。夜になってから折り返し電話がかかってきて、ぼくが気をもんでいたことに大層驚いたようだった。呑気な声で彼が言うには、「どうしてそんな心配をするんだね。わたしは東洋由来の健康法をやっていると言ったじゃないか。いいかい、断食、瞑想、それから良い水を適量飲むこと。これだけで人は病気なんかには…」彼は本当に仙人の域に片足を突っ込んでいるのかもしれない。
 ふたつめは、夜8時の窓からの拍手がその日もかすかに聞かれたこと。現場で戦う医療従事者に敬意を表して始まったこの習慣は、5月に入ったころにはほとんど世間から忘れられてしまった。ぼくの窓から見える範囲でも続ける人はわずか2、3人にまで減っていたから、これはロックダウンの解除と同時に絶滅しちゃうかなと思っていたのだが、8時の教会の鐘の音とともに彼らは変わらず窓辺に姿を現した。いつもお父さんと一緒に出てくる5歳ぐらいの男の子が、遠くの屋根から顔を出すぼくを見つけて、嬉しそうにめいっぱい手を振ってきた。こちらも窓から身を乗り出して千切れんばかりに手を振った。フランスではまだ2000人もの重症患者が集中治療を受けている。過去にしてしまうにはまだちょっと早いように思うのだ。

                  ・


 明くる日の朝、ぼくは久々に自分の自転車を倉庫から引っ張り出した。李さん(ある老画家の脱出劇 (一) - 屋根裏(隔離生活)通信)の留守中にアトリエに届いた郵便物を回収しに行くためだ。空は気持ちよく晴れていて、2か月ぶりのサイクリングに持ってこいの暖かさだった。彼のアトリエまでは15分ほどの道のりで、セーヌ川を渡ってからサンミッシェル大通りの緩やかな坂を南に昇ってゆく。

 外に出ると、通勤時間帯のわりには自動車が少ない。職場への復帰がまだ本格化していないせいもあるけれど、じつはパリ市がロックダウン解除を契機に車の路線を大きく削り、代わりに自転車専用路線をうんと増幅したのだ。「自転車こそソーシャル・ディスタンスを保つのに最適な移動手段だ」という理屈だが、もともとパリの女性市長は自動車嫌いで有名で、パリをアムステルダムコペンハーゲンのようなエコシティに変えたがっていた。ぼくの窓の下の大通りも一般車両の通行が禁止されて、一晩のうちにサイクリングロードへと変貌を遂げた。これは騒音と排気ガスに長年悩まされてきたぼくには涙が出るほどうれしい変化だ。この通称「コロナピスト(!)」は、パリ市内で全長50kmにも及ぶそうである。

f:id:Shoshi:20200519031439j:plain
f:id:Shoshi:20200519031718j:plain
f:id:Shoshi:20200519031827j:plain
設営工事中→設営完了→よく見ると、ほら!

 さてそういうわけで、このコロナピストを鼻歌交じりに漕いでゆく。もはや面倒な外出証明書もいらず、橋のうえには警察の検問もない。五月の薫風が街路樹を揺らし、木漏れ日と影がアスファルトの上でワルツを踊っている。ああ自由って素晴らしい。心軽やか身も軽やか、この長い上り坂だってまるで追い風を受けてるみたいにすいすいと……
と、いうわけにはいかなかった。立ち漕ぎで無理やり登り切ったはいいが、いままでにない息切れを覚えて坂のてっぺんで地面につま先をついてしまった。これが単に2か月間の外出制限による体力低下の故なのか、それともあの呼吸苦の夜から本当に肺機能が低下してしまったのか、それは今後の経過を見なければ何とも言えないことだろう。

f:id:Shoshi:20200519032840j:plain

サンミッシェル大通り。設営中のこれが噂のコロナピスト!

 李さんのアトリエに到着すると、管理人のカルドーソ夫人が部屋着のまま表に出てきた。半乾きの髪の毛をタオルで抑え、もう片方の手に手紙の束を持っている。なんとも生活感あふれる登場の仕方だが、今朝はなんだかそれさえ尊いものに見えてしまう。なにしろ彼女はロックダウンのあいだcovid-19に感染した娘を自宅で介抱し、その後みずからも同様の症状に苦しめられ、それらの全てを乗り越えたうえで今ぼくの前に立っているのだ。そんじょそこらのお寝坊マダムのタオルドライとはまた違う。強き母にして不屈の人の勝利のタオルドライなのである。

「ほんとに大変でしたねえ。今はもうふたりとも何ともないですか?」
「ええ、娘なんかわたしよりずっと症状が重かったのに、2週間の隔離を終えるなりさっさと仕事に復帰したわ。あなたはどうなの?」
「ぼくも何ともありません」彼女たちを不安にするのも嫌だから、肺の違和感の話はしない。「ポルトガルのご家族も無事ですか?」
「何ともないわ。ポルトガルはこっちより状況がだいぶましだからねえ。それにしたって、このフランスのカタストロフ(壊滅)は一体どういうことなんだろうね、まったく」

彼女の故郷ポルトガルは近隣諸国に比べてcovid-19の人的被害が少なく、メディアでも『ヨーロッパの例外』として取り上げられていた。他国と違ってBCGの予防接種がいまだに義務付けられていることから、BCG有効説を唱える人の論拠のひとつとなっているけれど、そこに疑問符を付けるのがこのフランスの存在だ。じつはこの国でワクチン接種が義務でなくなったのは2007年という最近のことで、これでは重症患者の多さに説明がつかない。
ムッシュー・リーは元気にしてるの?」手紙の束をぼくに手渡しながら管理人さんが尋ねる。
「はい、ときどき台北から電話をくれますよ。この時勢だから今度はいつパリに来られるか分からないけど、あの調子ならあと十年は元気に絵を描けますね」
「それはよかった。台湾からのお土産、今度はマスクをお願いしようかね」
そういって彼女は笑う。ぼくの知る限り、彼女が台湾と中国とを混同しなかったのはこれが初めてのことだった。今回の見事な防疫対策によって台湾は飛躍的に名を挙げたのだ。「タイワンって、ようは中国だろ?」や「タイランド(タイ)の間違いじゃないの?」という台湾人を苛立たせるお決まりのフレーズも、今後は滅多に耳にしなくなるだろう。

f:id:Shoshi:20200519032317j:plain


 郵便物をリュックにしまって、ぼくはもと来た道へとハンドルを向ける。帰りはほとんど下り坂だから爽快感も往路とは段違いだ。坂に差し掛かったところでペダルを踏む足を止め、重力に任せてコロナピストを一気に駆け降りる。寝ぼけ眼の街の景色がびゅんびゅん通り過ぎてゆく。

 セーヌ川にかかる橋の手前で赤信号に引っかかった。右手前方にノートルダム大聖堂が見えている。行きの道でも視界には入っていたのだけれど、なんとなく気まずくて目をそらしてしまったシルエット。この聖堂が火事に遭い屋根が焼け落ちてしまったのは昨年の4月15日のことで、当時はその悲劇的な映像に世界中が涙した。

 あれから一年後の同じ日に、この未曽有のパンデミックのさなかで、どれだけの人がそのことを思い出しただろう? その再建についてどれだけの人が意見を交わしただろう? 正直に言えばぼくはすっかり忘れていた。あの日あの夜セーヌのほとりにたたずんで、最後の火の根が消えるところまで固唾を飲んで見守っていたというのにである。

 その大聖堂と、いまばっちりと目が合っている。遠目に見る限り、記念日を忘れたことを恨みに思っている様子はない。青信号に変わったとたんに踏み込もうと身構えていたペダルから足を下ろして、あの日と同じ岸に降りてみることにした。  (つづく)

f:id:Shoshi:20200519032531j:plain

朝日を背にするノートルダム大聖堂

(『にほんブログ村』に参加しています。下のほうにあるバナーをクリックしていただけると、筆者は元気が出て立ち漕ぎの速度が増します!)