屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

ジャズとペダルとノートルダム (下)

 自転車を降りて転がしながら河岸へと下る階段に近付く。久方ぶりに間近で目にする大聖堂はやはり傷跡が痛ましかった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の足場といい、あちこちでむき出しになっていて、聖堂のくすんだ石の色から変に浮いている生木の補強材といい。けれどもこの日、屋根のなくなった屋上部分には作業員たちの姿があって、よく見れば傍らにそびえ立つクレーンもゆっくり動いているようだった。ロックダウンの解除と同時に工事も再始動したらしい。
 川上から吹き上げる風に誘われて、マロニエ並木の白い綿毛が枝を離れて宙に舞い上がる。幾千の小さな妖精たちがじゃれ合いながら工事の再開を祝っているみたいだ。新緑に囲まれた聖堂の姿は痛ましいけれど、悲しげではない。冬のあいだ裸の木々の枝の向こうにぼうっと立っていたときなど、まるで白黒の銅版画みたいに見る者の胸をえぐったものだが。

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対岸から見た大聖堂。右の写真の手前にあるのはアンチ現職市長のポスター。嫌いな人も結構いる。

 自転車を持ち上げて河岸の遊歩道に下りた。まばらな散歩者たちもみな、クレーンに付き添われてリハビリ中のノートルダムに優しい視線を投げかけている。このところずっと姿を見せなかった輸送船が通り過ぎてゆくけれど、その足取りはのんびりしていて川の平穏を乱さない。自転車を押しながら少し歩いて、去年のあの日ぼくがいたポイントにたどり着いた。そしてあの一夜の独特な雰囲気を思い出す。

 日暮れ時の河岸は火事を眺める人でいっぱいだった。傍から見れば物見遊山の野次馬に過ぎなかっただろう。けれどもこの野次馬たちは不思議なことに、やたらと写真を撮りまくったり大声で騒いだり、見物がてらワインボトルの栓を抜いたりはしなかったのだ。みな一様に言葉少なで、肩を抱き合ったり手を握り合ったりしながら焼け落ちる屋根をじっと見ていた。今どき信心深い人などフランスにもそういないのに、刻々と黄昏れてゆく川辺には祈りにも似たムードが満ちていた。ぼくは片隅でその様子を静かにスケッチしていたのだが、自分がこの場でいちばんの不謹慎者だと罪悪感を抱くほどだった。尖塔のひとつにくすぶっていた最後の火が消されたとき、時間は早朝の3時を過ぎていた。敬虔なカトリック信者のあるグループは、ついに最後まで聖堂に向かって讃美歌を捧げぬいた。途中で近所の家から「いい加減にしろ!」という怒鳴り声が降ってきたりもしたが、結局さじを投げたのはその住民のほうだった。

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 あれからもう1年経ったのだな。あのときは世界じゅうの人々がかけがえのない遺産の喪失を悲しんで、何が起こるか分からないものだと口々に言い合った。パリ市民は自分が歴史の目撃者になったことに驚き、観光客はその痕跡を一目見るべく立ち入り禁止のフェンスの前に人だかりを作るようになった。しかし1年が過ぎた今、それらの誰もが否応なしに、人類史上例のない大変動の当事者に任命されている。考えてみれば本当に不思議だ。取るに足らないこのぼくでさえ、未知に向かって突入してゆくヒトの歴史の最前線を担っているのだから。

 最後の火が消えるのを見守ったあの場所に行ってみることにした。ノートルダムのあるシテ島に隣り合って浮かぶ姉妹島、サン・ルイ島の末端だ。ふたつの島は短い橋で繋がれていて、大聖堂はそのすぐ先で背中を向けて建っている。背中のほうには縦長のステンドグラスがいくつも並んでいたから、あの日はその窓枠の奥で火だるまの屋根が崩れ落ちてゆく瞬間が垣間見えてしまった。耐えきれずに嗚咽を漏らす人もいた。

いまでは窓枠には包帯のような生成色の補強が施されていて、それが空と川面の水色に映える明るい挿し色となっていた。あの凄惨な過去を聖堂自身が忘れ始めているようにも見える。これから郊外に遊びに行くのか、路肩の車に子ども用の自転車を積み込んでいる男がいる。ヘルメットをかぶった少年が待ち切れないといった様子でそれを待っている。カーラジオからはウッドベースの軽快な音が漏れて――と思いきや、どうやらこれは生演奏らしい。道のもう少し先にある、ふたつの島を結ぶ橋の上から聞こえてくるのだ。

 ステップを踏むようなべースラインに、ジャズギターの洒落たフレーズが絡みつく。その音色がだんだんクリアに聞こえてくると、橋の上の小さなジャズフェスティバルが姿を現した。
 ひとりの男がウッドベースの弦をはじきながらマイクに向かって歌っている。その傍らではギタリストが優しい笑みをたたえながら、クリーム色のギターで歌に陽気な彩りを添える。島の住民らしき人々は少し遠巻きに集って、音楽に合わせて体を揺らしたり、子どもの手を取って踊ったりしている。曲目はルイ・アームストロングの『君微笑めば(when you're smiling)』だ。

『きみが微笑めば、きみが微笑めば、
 世界のすべてがともに微笑む。
 きみが笑えば、きみが笑えば、
 太陽が空に昇り輝く。

 だけどきみが泣けば雨が降る、
 ため息をやめて幸せになろう。
 だってきみが微笑めば… そう、
 世界のすべてが微笑むだろう、
 この大きくて素晴らしい世界が。

 きみが微笑めば、この広い広い世界のすべてが、

 きみと一緒に微笑むんだよ…』


"When you're smiling" 路上演奏


曲が終わって拍手が鳴りやむやいなや、歌手はマイクを通して一言、
「キープ・ディスタンス!」
場には和やかな笑いが起こった。彼は英語で言葉を続ける。
「音楽を楽しんでくれて嬉しいけど、このことは忘れないでくれ。ええと、フランス語でなんていうんだったかな、『バリエール…ディスタンス』?」
「『ジェスト・バリエール(防疫行動)』!」誰かが助け舟を出す。
「そうそう、それだ!そいつを守って楽しんでおくれ」

 そのやりとりもまた新鮮で面白かった。なぜならこういう路上ミュージシャンは普段は主に観光客を当てにしているもので、地元民のみを相手に演奏するなんて初めてかもしれないからだ。地元の人だって以前は彼らを気にも留めずに、目の前を素通りしていたことだろう。同じ街角でずっとすれ違っていた人々がいま言葉を交わしたのだ。
 ぼくは橋の欄干に自転車を寄せて、しばらくのあいだその音楽を聴いていた。彼らが奏でる楽器のボディも、穏やかな川面も、ノートルダムの包帯さえも、昇りゆく太陽をいっぱいに受けてきらきらと輝いていた。「それはきみが微笑むからだよ」とその歌は言う。ぼくは人々の天真爛漫なステップを後ろからそっと眺めながら、目の前の「きみ」たちの存在に心強さを感じていた。この人たちと、これから世界を再建してゆくのだな。        (おわり)

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