屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

月下の決闘

 ぼくは夏のあいだ広場で似顔絵屋をやっている。苛烈な日差しでお客が倒れてしまわないよう、大きな黄色いパラソルを立てている。そうだ、あれをタモ網に改造しよう。竿の長さは伸ばせば140cmにもなるはずだ。
(この記事は前回のもの第二波セーヌを襲う - 屋根裏(隔離生活)通信の続きです)

 6階の廊下はすでに静まり返っていた。箱入り育ちの隣室の姉妹は11時ごろには寝てしまう。ふたりの迷惑な隣人はいま、こともあろうに深夜零時に工作をはじめようとしている。静かな眠りを妨げてごめんよ。でも、とんでもない化け物が街に戻ってきたんだよ。そいつを退治するために、ぼくには武装が必要なんだ……
 押し入れからパラソルを引っ張り出して、その骨組みから布地を外した。木製の果物かごを空にして、タコ糸で竿の先端にきつく縛り付ける。タモ網に代わる化け物退治の一本鎗の完成だ。ちょっと、というよりかなり不格好ではあるが、機能性には問題がなさそうだ。ほかにも有用そうな道具――ゴム手袋、ざる、ハンガー、ごみ袋などを手当たり次第に買い物袋に放り込んで、ぼくはふたたび屋根裏部屋を後にする。

 孤月の浮かぶ空の下、河岸につながる坂道を下りてゆく。スズカケ並木の向こうに広がる黒々としたセーヌの流れ。水面に映る月の傍らには、すでに怪物の巨大な背中が確認できた。若者のグループはまだ居残っていて、そのうちの一人があろうことか川に向かって立小便をしている。援護射撃のつもりかもしれないが、とんだありがた迷惑である。ゴム手袋を持ってきたのは賢明だったとつくづく思う。

 

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左.槍を携えて戦場へ。 右.べつに立小便を撮るつもりはなかったのだけど…


 ふたたび河岸に立ち、頭も尾もないその怪物と対峙する。手製の武器を両手に構え、腹から突き出したビール瓶をめがけて一番槍を突き立てた。悲鳴もあげず、身もよじらず、怪物はぼくの動きを静観している。漂う瓶をかごのなかに収めるのは案外難しく、ぼくは角度を様々に変えてその傷口をほじくらなければならなかった。ごみと水草がかき分けられて、ひらけた水面にゆがんだ月の姿が現れる。なんとか瓶をかごに収めて槍をそっと引き上げると、その傷口はたちまちに塞がってしまった……不気味なやつめ。

 前に後ろに河岸を移動しながら、ぼくは繰り返し攻撃を加えた。石畳の上に少しずつ、切り取られた怪物の肉片が積もってゆく。しかしその堂々たる体躯はぼくの攻勢を意にも介していないふうだった。岸べりに並ぶ戦利品の無価値さをあざ笑うかのように川面に悠然と横たわっている。これは長期戦になりそうだ。

 それにしても、夜中の2時にもなろうというのに人の気配が一向に減らない。川の中腹に浮かぶシテ島の先端から、アフリカンパーカッションの小気味よいリズムか聞こえてくる。暗くてはっきりとは見えないが、枝垂れ柳のふもとにもまだたくさんの人が居座っているみたいだ。大学は9月まで再開しないという話だから、学生たちにとってはもはや半分夏休みのようなものなのだろう。

大きなリュックを背に人から人へ声をかけてまわっているのは、ビールやワインの転売で生計を立てるもぐりの行商人だ。西アフリカや南アジアの貧しい国から来ていることが多い。彼らは滞在許可を持っていないことがほとんどだから、コンフィヌマンのあいだ補償など何ひとつなかったはずだ。よくぞ耐えたね。違法とはいえ、営業再開おめでとう。


6月1日 深夜のセーヌ川。


「ビールはいらんかね?」
「もうたくさんだよ。見てくれ、この空き瓶の数!」
ぼくの足元に列をなす大量のハイネケンの瓶に、行商人は目を丸くする。「お前ひとりで飲んだのか?」
「みんなで楽しく飲んだんだろうけど、拾ってるのはぼくひとりだ」
彼は大きな目をぱちくりさせて、岸辺に並んだ雑多なごみを隅から隅まで眺めやる。それから大きな笑顔をこちらに向けて、親指をぐっと突き立てて去っていった。どうやらほめてもらえたみたいだ。

またひとり、別の男が近づいてくる――「大麻かコカイン、あるけど買わない?」もちろん彼も休業補償をもらえぬ世界の人間だ。こんなふうに当てずっぽうで声をかけてくるなんて、きっと違法薬物業界も相当な打撃を受けているのだろう。
「いらないよ。涼しい夜風が吸えればじゅうぶん! いま忙しいからほっといて」
「おまえ、ひとりで何してるんだよ?」
「見りゃわかるでしょ、さかな釣りだよ」
ぼくのつまらない冗談に愛想笑いひとつせず、男はおとなしく離れて行った。ところが、ぼくがふたたび槍を川のなかに突っ込んだところを見るなり、早足で遊歩道のうえを引き返してくる。そして眉間に皺を寄せて、たしなめるような口調で言うには、

 

「ここの魚は食べちゃだめだよ、水がすっげえ汚いんだぜ。病気になっちゃうよ……」


早すぎる汚染の再来に、ぼくの心は少なからずささくれていたのだろう。彼の素朴な思いやりが胸に沁みた。コカインを売り歩いている男がひとの健康を気遣うというのも、なんだか道理に合わない気がするが。道理や条理に従っていては食べていけない人々がこの街にもたくさん生きていて、夜とは彼らのための時間だ。そこではしばしば昼の論理や倫理がきれいに反転することさえある。

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 数年前の夏、深夜のセーヌ川を描くために夜ごと繰り出していたことがあった。当時は移動にバスやメトロを使っていて、ICカード型の定期券を持っていた。行きのバスでは誰もがそれを読み取り機にかざしてから乗り込むのに対し、深夜3時の帰りのバスでは誰一人としてそれをせず、ポケットの中をまさぐる素振りさえ見せなかった。運転手は彼らをとがめるどころか、ひとりひとりと顔なじみのような挨拶を交わし、こぶしをこつんとぶつけ合ったりしている。その路線は乗客をパリ中心まで運んでいって、彼らはそこで郊外へ向かう深夜バスに乗り換える。時間からして、どこかで皿洗いや清掃やベッドメイキングの仕事をした帰りなのだろう。正式な労働許可を持たず、法定最低賃金さえ受け取っていない人も多い。
こういうバスに乗りこむときのばつの悪さといったらなかった。ICカード乗車券なんて無粋なものを印籠のように降りかざし、言ってみれば金と権力に物を言わせて、損得を超えた共同体に土足で上がり込むのだから。有賃乗車。合法乗車。軽蔑に値するふるまいだ。機械がカードを読み取るときの「ピーン」という電子音が車内に響いたとき、それはなんとも弱々しく曖昧で、まるで端末のなかに行儀よく折り畳まれた自分自身の悲鳴を聞いたみたいだった。

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 夜11時には寝てしまうルイーズは、まさにこういうパリが嫌いだ。まるでグリム童話の黒い森のように怖がって、日が沈んでからは滅多に外に出ようとしない。一方でぼくは深夜のパリをうろつき歩くのが大好きだ。まるでグリム童話の黒い森のように謎と不気味が潜んでいるからである。

 理性の光が及ばぬところで、かご付きのパラソルは槍になり、ゴム手袋は籠手になり、昼間はただただ気が滅入るような川に浮くごみの集積でさえ、退治するべき竜か何かに姿を変える。日没にぼくが感じていたはずの強い憤りも、いつしか夜の高揚感に飲み込まれ霧散してしまっていた。
ぼくはもう誰に対しても腹を立てていない。環境問題ももはやそれほど念頭にない。ただただ夜闇に紛れてひとり「ごっこ遊び」に夢中になっている。そういう狂気に居場所を与えてくれるのが、真夜中のパリの懐深さだ。   

 とはいえ、腕時計の針はすでに3時を指している。月も対岸の建物の屋根のずいぶん近くまで降りてきた。夜の魔力が効果を失ってしまうまで、もうそれほど時間は残されていない。
 ぼくは槍を握りなおして、ふたたび目の前のモンスターに挑みかかる。     (もう少しつづく)

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何かかっこいい名前を与えようとしたが思いつかなかった。だって、かっこよくないもの。

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