屋根裏(隔離生活)通信

ロックダウンの解除間もない、寝ぼけまなこのフランス・パリから。

世界にブーケを (下)

 彼の主張するところでは、花屋がこんなに多いのは明日が母の日だからだそうだ。ママンに贈る花束を探して、街じゅうの人が市場にやってくる。ちょうど今朝のぼくたちみたいに。
「いや、そんなはずはないよ。母の日って5月の終わりだもの。少なくともここフランスではね」

「いいや、絶対に明日だよ。さてはきみ、独り暮らしだろ?」
「そうだけど、どうして?」
「そんなら知らないのも無理ないな。おれはママンと暮らしてるんだから、日にちを間違うはずがないんだ。町はずれに停めたキャンピングカーに一緒に住んでいるんだよ。ママンにとってこの冬はつらかった、暖房設備がないからね。だけど寒いのはもうおしまいだ。それに明日は、この花束を渡してあげられる…」

 彼とママンはきっとどこか遠くの国から一緒に流れて来たのだろう。ぼくは男の大切な花束をその手からちょっと取り上げて、空をバックに写真に収め、いいかげんな説明をそえて日本にいる母へ送った。『世界のどこかで、明日は母の日!』

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 日が沈むころ、うちでコーヒーをすすりながら、ぼくは今朝の花束のことを考えていた。果たして彼は狭苦しいキャンピングカーのなかで、明日になるまでママンからバラを隠し通せるものだろうか。仮に上手な隠し場所を見つけても、花の香りで気づかれてしまうかもしれない。そもそもあのはしゃぎようだから、明くる朝まで我慢しきれず早々に手渡してしまったのかも…「ママン、これはあなたのための花だよ。今朝は新聞がよく売れたから、市場の花屋で買ったんだ」――この愛らしいフレーズを、彼はどこの言語で口にするのだろう? 彼らはいったいどこから来たのだろう?


「3月8日 母の日 国」

 

パソコンを起動して、検索窓にこう打ち込むやいなや、ウェブブラウザはぼくに思わぬ返答をした。

 

『3月8日は 国際女性デー。』

 なんてことだ、とぼくは思った。明日という日は国際的に取り決められた特別な一日、それも世界人口の半分、じつに40億人もの当事者をもつ特大の記念日らしいのだ。直接関係ある人の数はオリンピックよりはるかに多い。市場でのあの男の言葉が、いま切実なトーンを伴ってよみがえってくる。「きみは独りで生きているから、そんなことさえ知らないんだな…」

 

国際女性デーの解説のなかに、こんな記述もあった。『ルーマニアブルガリアなどの国では、子どもたちが母親や祖母にプレゼントを贈る、母の日と同等の記念日と認識されている』要するに彼はひとつも間違えていなかった。そのうえでぼくの無教養を軽蔑せず、その境遇を憐れんでさえくれたのだった。

この心優しい男がいなければ、ぼくは花で溢れた市場に春の訪れのほかの何物も読み取らず、あす世界じゅうで繰り広げられる花束の贈りあいに気が付くことさえなかっただろう。そして誰にも花を贈らず、特別誰を想うでもなく、3月8日を3月7日とおんなじように過ごしていたはずだ。

 

  今日は世界ぜんたいがブーケを紡いで過ごしている。40億人を祝福するための大きな大きな花束だ。そしてあの男はといえば、ブーケの包みの外側にこぼれ落ち、広場のすみで萎びかけていたぼくを、霜焼けの指でひょいと拾い上げ、ママンへ贈るバラの合間に忍び込ませてくれたのだった。おかげでぼくは今かろうじてブーケの片隅に存在できている。世界をとりまく愛の交歓にかすかに加担できている。

 …あなたの息子が贈る花だけど、ぼくも一緒に選んだんだよ。

 暗くて厳しい冬だったけれど、もう安心だよ、見知らぬママン。

 市場はいまや、赤や黄色や紫の花で溢れかえっているんだからね。

 

 (おわり)

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